何かを「伝えたい」時。
今朝、出来心で和田山の竹田城跡へ。
つい最近、早朝に雲海の立ち込める季節になったようで、多くの人が日の登る3時前から訪れていた。
待っていたのは中国の故事に出てきそうな素晴らしき眺め。思わず感動で涙がこぼれそうになる。
ひとつ考えさせられたのは、みんなリアルタイムでの感動よりも、写真にこの風景を収めようと一生懸命だったことである。
どう考えても写真の風景はリアルタイムで見る感動には及ばないと思う。
だが、それが分かっていても自分を含めた人間という生き物はそれを一定の枠の中に収めようとする。
私はこう考えた。
写真を撮るのは、もちろん一場面の保管という意味合いもあるが、それによる同時刻の別空間の人と時間軸を異にして「感情を共有」することが出来るからである。
そして、人が何かを伝えたいのは、その「何か」によって心が揺さぶられた場合だ。
つまり、自分がその時感じた感情の揺れを、出来る限り多くの他人と分かち合おうと考えるから、人は写真を撮るのだ。
人間は、その感動を、自分の心の中だけには閉まっておけない生き物なのである。
いかに他人との相互関係の中で私たちが生きているかに想いを巡らせた、シルバーウィーク最終日の朝である。
竹田城の雲海は絶景であったので、是非リアルタイムでご覧いただきたい。